簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

いまできることを全力で。

一定の年齢になると、それまでは考えもしなかったことが、頭をよぎる。例えば、時間に関して。当たり前だが有限で平等で過去は修正できないし未来は約束されていないのだけれども、その大事さに気がつくのはずっと後のことだ、ということに思いをはせる自分がいて、信じられないくらい驚いてしまう。もっとしておけばよかったなどと自分が後悔するなんてもまったくもって動揺してしまう。だからどうということもないが。

同志社大学神学部

同志社大学神学部

 

他の人の青春時代を覗き見するのはとても楽しい。著者のことは地名度の割にはよく知らない。評価が分かれている人であることは理解している、あとは報道で聞きかじったくらいのことだ。ただ、この本は素晴らしい。学生時代に酒を飲んでいて、というおきまりのフォーマットなのだが、そこに流れている時間がうんざりするほど濃密で、うらやましくなるほど考え、そして学んでいる。知を吸い込む音が聞こえてくるくらいだ。

自分にそういう時代、いや、大げさだ、時期があったのか、と聞かれるとなかったとは言い切れない。しかし「あったよ」と、さりげなくけれども胸を張っていうほどの自信もない。極めて曖昧で、そして、ごくフツーの時間なので、卑下する必要もないのだけれども、他人を羨んでしまう程度のものであることに、ちょっとがっかりしてしまうのだ。濃いだけが人生ではない。けれども、薄いのはやっぱり嫌だなと。でも戻れない。

これからでも遅くない、という程度でなにか学ぼうと思っても、それくらいの動機では自分自身にしっかりと根を下ろしてしまっている日常には抗えない。もっと純粋で、強い動機があるにこしたことはない。この本を読むと「うわ、勉強したい。いろいろと学んでみたい」とクッキリと、それこそ、焦りにも似た気持ちが芽生えてくる。失った時間を取り戻すことはできないけれど、これからの時間を失うことは、まだ回避できる。

焦るなといわれても無理。



連載が更新されたのでサブノート的なエントリーを。焦るなといわれても無理な相談である時代。ニュースをみれば世の中が凄いことになっていて、若手や新人といわれる人たちだって、同世代がドンドン活躍しているわけだし、それほど活躍していない同級生だってリア充すぎる近況を報告しまくっているわけだし。自分はなにもできていないのではないか、自分は負けているんじゃないか、自分は足りないんじゃないか、自分にはバリューがないんじゃないか、と思っても仕方ない。ま、実際ない場合も多いけど。

だとした時に、少し先を走っている人たちができることは限られている。それは焦るなということではなくて、焦りを利用して前に進ませてあげること。多少の空回りには目をつぶってでも、頑張りたい、現状を変えたい、という気持ちを、ドライバーにする環境整備をしなくてはならない。こう書いてしまうと「そんなことは自分でするべきだ。自分たちが若い時もそうやってきた」と言い出す人がいそうだが、その時代といまとでは状況が違いすぎる。なんでもできる時代だからこそ、すくんでしまう人もいる。

ただ、それ自体がとても大変なことであるとは認識している。与えられた仕事は、いまいる人員が、最大のパフォーマンスを発揮しなければできないほどの量になっているはずだし、管理職自体、自分自身もたくさんの仕事を抱える中で、部下を育てるのは容易ではない。コラムに指摘したように『若手には歳の近い伴走者をつけてあげて』という提案だって、そもそもそういう人員がいないという企業も少なくない。そういう場合は歳の離れた伴走者でもいい、とは思うのだが、効果は弱くなってしまう。難しい問題だ。

それを踏まえてもなお、若手の焦りに対しては真摯に向き合う姿勢を見せたほうがいいと私は考えている。同時に自分の経験則を押し付けるのではなく、いまの時代の若手ができること、そして、するべきことを改めて考えたほうがいい。焦っても仕方ないよという言葉が耳に届かないのには、それなりの理由があるのだから。といいつつ、焦っているというだけで、ホントは焦ってなんかいない人も意外にいるので、その見極めも慎重にしなければならないのだが。いずれにせよ、このあたりの話は悩みが尽きそうにない。

多様化の先にあるものは。



連載が更新されたので、サブノート的なエントリーを。環境が変われば常識も変わるし価値観も変わるし基準も変わる。ブレないことを売りにしている人は少なくないが、その結果が吉と出る人は多くない。人と合わせることを必要としない人の多くは、極めてわかりやすい能力や個性があるか、人となにかをすることがない人だ。もちろん、厚顔無恥な人である場合も多いが、それはそれとして。自分が持ち合わせている常識や基準や価値観や、それこそフツーは、もっと疑ってもいい時代になりつつある。

もちろん、ひとつの価値観の元に人を集めて、組織的にというお題目とともに、機械のように働かせるというスタイルだって、間違いとはいえない。好んでそんな働き方を望む人などいるものか、という声が聞こえてきそうだが、なにも考えずに無心に、それこそ言われたことだけを忠実にこなしたい、という働き方を好む人にとっては、ただ、従うことがフツーであり、それが常識だ。企業は多様な人材を求めていると声高に叫んでいる。としたら、多様な価値観を受け入れるしかない。

そうなると、価値観を押し付ける人、そう、コラムに書いたように、自分の経験が絶対であり、尺度が真実であり、価値観が揺らぐことはあり得ないという人でも、受け入れる必要がある。多様な価値観などない、という価値観もまた、多様性の一部なのだ。そのあたりの覚悟がないまま、多様性という言葉を掲げ、人を集め、上手く活用できずにリリースしてしまっている企業は、枚挙に暇がない。多くの人は、他者を認めることはとても難しく、自分を否定されることも許し難いのだから。問題は易しくない。

たくさんの価値観が存在する場所では、声の大きな人のそれが優先されるケースは少なくない。ネット上でも似たような現象は、毎日起きている。繰り返し大きな声で自己主張を繰り返し、自分の考えと異なった人たちが疲弊するまで、がなり立てる人たちの声が、一般的な価値観として形成されていく。世間が言うところのフツーの正体など、こういうプロセスを経て作られていることも多い。自分を疑うのは骨が折れる作業だ。ただ、立場のある人間は、まず率先してそうするべきである。他者への影響を考えて。

仕事はもう与えられない。



連載が更新されたのでサブノート的なエントリーを。こんなコラムを書いてしまうと、かならず「そうなる前に自分でなんとかしておかなければならない」とか「自業自得なのに面倒見切れない」とか「使えないヤツを欲しがるところなんてどこにもねえよ」というお叱りをいただくことになる。個人的にはそういう考えもありだよな、と思っている。が「あなたにはもう、やっていただく仕事はありません」と突きつけられた人に対して「反省しろ、自分が悪いんだよ!」ということなんて、できっこない。

誤解を恐れずに言うと、企業の多くは働く人たちに対して、その多くを保障しない。少なくとも未来永劫の保障なんてない。まあ、かつてもなかったのだが、なんとなく景気が良くて、会社なんて黙っていても成長するものだという神話に基づく雇用形態が、日本っぽいと言われていただけのことで、いまも昔も、必要なら大事にするし、不要なら厄介払いをする。それだけのことだ。だからこそ、厄介払いされないために、多くの人は様々な努力をする必要がある。仕事は黙っていても与えられないのだ。

仕事は奪い取るものだ、という観点を忘れてしまっている人たちは、奪っていく人たちを遠巻きに眺めて「わたしだったら、あそこまではできないな」とか「あんなことをして楽しいのかな」と、嫉妬心を交えてつぶやく。が、結果としてどん欲に仕事に取り組む、いや、他人から仕事を奪い取っていく勢いの人ほど、仕事が周辺に溢れ、求められる人になっていく。それが幸せかどうかと聞かれれば、人それぞれというしかないが、仕事を求める、という観点からみれば、大正解以外のなにものでもない。

どうしても仕事をしなければならない人は、例えば、いまの職場に嫌がられてもしがみつく、地方でも海外でも必要とされるところへ移動する、相手との情報格差、ギャップを利用して自分を高く売る、どんな手段を取ってでも、仕事を自らの手の中に入れなければならない。新卒で就職しようとしている学生だって、基本的には同じだ。世の中の仕組みを憂い、他の人のやることを非難していても、仕事は誰からも与えられない。果報は寝ていても、残念ながら届かないのだ。

本を出したい人への小話。

プロデュースというと大げさだけど、出版の手助けをした書籍が発売になったので、ここで少しだけ、メモのようなものを書いておきたいと思う(Facebookにはすでに投稿したので、読んでいるかたもいるだろうけど)。以下の書籍。とても素敵です。写真を撮るということに興味がない人でも、店頭で手に取ってみてほしい。写真そのものが素晴らしく、それ自体を味わえる紙面構成になっている。

HDR写真 魔法のかけ方レシピ ~撮ったあと生まれ変わる、写真のあたらしい楽しみ方

HDR写真 魔法のかけ方レシピ ~撮ったあと生まれ変わる、写真のあたらしい楽しみ方

 

本を出したい、という相談はそれこそ山のように受ける。が、以下の3つが揃っていないと、最初のハードル、つまり私がお引き受けしない。

  • コンテンツが揃っているか
  • 著者がある程度の発信力を持っているか
  • 他にないユニークさがあるか

石川さんの場合、ブロガーとしては有名人で情報発信力は十分。コンテンツも、世界一周旅行に行って撮影した写真もふんだんあり、十分揃っていた。題材はユニークで申し分なかったのだが、逆にユニークすぎて、一般性に欠けた。余談だが、最初の二つは揃っているという人は少なくない。しかし、他にないユニークさというハードルを設定すると、本を出せる人は極端に少なくなる。少なくとも、私はそう考えている。

今回は著者の石川さん(まゆみんと呼んでますが)が、かなり頑張った。最初「本を出したい」と相談された時に、「あー、今のままでは、出るか出ないか、五分五分だな」と思っていた。理由はいくつかあるが、大きかったのは、書籍としてのパッケージの難しさだった。読者層が極めて限られるディープな書籍、もしくは著者のビジュアル(とても素敵な女性だ)や、世界一周旅行で撮った写真の魅力をミックスした、写真好きな女性への、もっと写真を撮ろうよ的なライフスタイル本になるか。そんな方向。

ただ、実際に出来上がった本を見てもらえば一目瞭然だし、ネタバラシになるので書かないけれども、そのどちらにもならなかった。極めて真っ当で、この分野では日本で初めての書籍にふさわしい内容になった。サラッと書いたが、その内容にすることはとても大変だ。類書がない、ということは、参考にすべきものもない。つまり、一人で手探りで道を歩いていくしかない。孤独な作業に筆者は耐えた。その結果の一冊なのだ。

「もうしばらく自著を開きたくない」と、昨日開催した出版記念のこぢんまりとしたパーティの席で、石川さんは言っていた。そのくらい大変な作業だったのだろう。でも、出したら終わり、ではないのだ。これからもこの分野の先駆者として活躍してほしいし、なによりも著者は本を売らなくてはならない(笑)。とりあえず、おめでとう、そしてお疲れさまでした。これからも頑張りましょう。よろしくお願いします。