簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

たまには就活以外の話を。



しばらく前から、上のツイートのようなサイトをプロデュースしている。『本当にできる人は、見逃されない』というキャッチフレーズを口にした時に、頭の中で考えていたことは「そういえば、仕事ができるということは、なにを基準にアセスメントしているのだろうか」ということだった。仕事といっても、世の中には星の数ほど仕事があるわけだし、同じ仕事に見えても、それはまったく違うように見える。スキルの抽象化を図ることで、それを可視化しようとする試みは理解できるが、やはりケースバイケースにも思える。

スキルを見極める人たちのスキルがない場合、悲惨なことが待っている。仕事ができない人たちが仕事ができるかどうかなんてアセスメントできっこないのだ。しかし、世の中の多くの企業は『自社でどんな仕事がなされているか』も細かくは理解できていない人たちが、その気になればいくらでも立派に繕うことができる『経歴』と、何となくしか言語化されていない『社風』というキーワードを拠り所に、合う合わないを判断して、職場に迎え入れている気がする。それでは、ミスマッチは防ぐことはできない。

自社に迎え入れるべきか否かを判断する材料として『仕事ができるかどうか』を尺度にしようとした時に、なにをもって能力があるとするのかという、判断基準を作り出す能力を企業に求める時代にしたい。と思ったら、企業が入社までのハードルを自らの手で設定できる仕組みを作るしかない。まずはエンジニア領域でトライアルをしているが、別にエンジニア領域に限らなくていいと思っている。求めるスキルセットを明確にし、それができるかどうかアセスメントすることで、その人の能力を純粋に評価する仕組み。

「コミュニケーション能力も大切な判断材料だ」という声が聞こえてきそうだが、順序が逆だ。スキルはないが人当たりはいいという人と、その逆だとどちらがいいか?と質問したら、従来の人事と呼ばれる人たちの多くは前者、そして、現場は後者を選択する。現場の責任者に話を聞くと「人当たりが良くても、仕事ができなければ職場で浮きますよ。お荷物になるんですよ、間違いなく」とのこと。育てると意気込む採用担当者がいたら『現場にその余裕があるかどうか』問うてからにして欲しい。でないとみんな不幸になる。