簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

挫折という言葉の使い方。



採用担当者たちが「挫折経験を教えて」とエントリーシートや面接で問うことが、いかに馬鹿らしいことなのかをわかりやすく書いた。もう、こういう茶番はなくなれば良いのに、と思いつつ、なかなかなくならない。私も就活サイト上でエントリーシートの書き方を解説する講座を持っているが、これにしても「企業の採用担当者たちは、困難を乗り越えた経験を見ることで、あなたのポテンシャルを推測している」と自分でも説明しているが、実際にはその裏打ちは大してない(少なくとも企業がデータを取っているケースは少ない)。

ツイッターを眺めていると「乗り越えられなかった挫折経験を教えてください」と質問した後に「それをどのようにして乗り越えましたか」と聞いていて「馬鹿なの、この企業」と書き込まれているのを見かけた。確かに馬鹿すぎる(苦笑)。しかし、似たようなことはどこででも起きていて、聞いている本人たちはまったく気がついていない。就活生は気づいたからといってまっすぐに指摘しないように。恥をかかされることに対して人は慣れていないし、人を選別しまくる採用担当者たちならなおさらだ。

挫折経験という言葉が適切ではないのだと思う。困難と書けば良いと思うし、辛かった経験でも良いと思うし、大変だったと感じること、山を乗り越えたことでも良いかもしれない。挫折という言葉の響きが重すぎるのだ。といいつつ、辞書的な意味での挫折は『事業や計画などが途中でだめになること(Mac Book Airの内蔵辞書より)』という感じなので人が印象として持っている挫折という言葉よりは幾分軽いし、その経験を問うことがそれほど大げさではないのかもしれないのだが。

仕事柄、就活生からの相談メールを受け取るが、その中にある挫折経験に関する質問は主に二つだ。一つは「挫折経験と呼べるものがないのですが、どうしたら良いでしょうか」というもの。もう一つは「シリアスすぎる挫折経験を素直に書いていいのか」というもの。自傷行為やドメスティックバイオレンスの経験は書いても大丈夫か、私の挫折経験はそこにあるという内容。その二つの根底に流れるものは、先に指摘した「挫折という言葉の重さ」だろう。軽々しく質問している採用担当者たちは、猛省してほしいと願う。