簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

就活生は原点に立ち戻れ。



連載が更新された。自著でも書いている、仕事とは「誰かの困った」を「良かった」に変えることだと。それに尽きるという話を、中学生たちを前に講演したという話。ほとんどすべての仕事がこの図式に当てはまっていて(当てはまらないのは犯罪くらいという笑い話を講演では挟む)、どんな仕事に就きたいのかということを考える上で、まずは「誰の困った」を、自分だったら「どんな良かったに」変えてあげられるのかを、頭に思い浮かべるといいよと説明すると、ストンと納得する人は意外に多い。

逆にいうと「自分のやりたいこと」や「自分がなりたいもの」もしくは「自分が成し遂げたいこと」と、まずは「自分が」という立脚点から仕事を考えてしまって、袋小路に入って困っているという人が少なくない、ということでもある。誰かの、という視点に立ってみると、意外に新しい視野が開けるし、結果として誰かの役に立つということが、自分にとっても誇らしく、承認欲求も満たされるという図式にもなる。まあ、誰かのためになにかをすること考えるのも、それはそれでハードルは高いのだけれども。

ここで障害になりがちなのは「親」である。子供に「どうして働いているの?」と質問されて、きちんと答えられている親はそれほど多くない。例えば「働かないと、みんなごはんが食べられないでしょう、だからだよ」と、仕方なく働いていると説明してしまったり「大人ってそういうものなんだよ」と、お茶を濁してしまったり。誰かの役に立っていること、人の困ったを良かったにしていること、それらを説明しないで済ませてしまうと、働くことに対して、子供は良いイメージを持てない。

困ったを良かったにするから対価が得られる、という図式は、一定の年齢になった子供にはもっと説明して、きちんと理解させるといいと思う。そうすることで「あ、自分ならこんなサービスで、あの困ったを良かったにできるかも」という起業家だって、たくさん出現してくるはずだ。仕事なんてとそういうものだと嘯く前に、大人は丁寧に説明しなければならないのだ。ただ、説明する前には、自分自身が「どうして働いているのか」そして「誰の困ったを良かったにしているのか」を整理する必要があるんだけどね。