簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

働くことの意味は自分で。



連載が更新された。この話の問題の根深いところは「働くことの意味を考えさせよう」とする第三者がいる、ということだ。働くということにきちんと向き合ってきていないのだから(コレを読んでいる人の多くが、その問題について真剣に考えたという経験を持ち合わせていないだろう)働くということを「ふわっと」した心持ちでしか捉えられないのは当然のことであり、チャンスがたまたまあった、もしくは「結果として」素晴らしい働き方や仕事に出会えた人たちだけが、その「曖昧さ」から抜け出せたにすぎない。

人を働かせなければならない立場にある人(歯に物が挟まった言い方になってしまうが他の表現が思いつかないので)は、どうやれば人は働くのかということを考えるのが仕事であるのはいうまでもない。立場が変われば「働くことを考えるなんてあほらしいし、あ働きたくない人は働かなくてもいいじゃないか」と言ってしまうような話でも、雇ってしまったのだから、最大限「働いてね」とそれこそ働きかけることは「役割」である。だからというのも変だが、面倒なことがいろいろと起きてしまう。

働くことの意味を理解し、働くことの喜びを運良く実感できた人の多くは、手元にある仕事だったり、周囲にいる人たちの素晴らしさだったり、たまたま身を置いた環境によって「なるほど、働くのって素晴らしい」と理解できたり実感したりした人たちだ。頭で考えたり、誰かに「働くのって素晴らしいでしょう?」と押し付けられた人は少ないはずだ。だとしたら、本来は「自覚できるように」仕掛けていく、もしくはもっとシンプルに「働くことが素敵だ」と感じられる仕事を用意すれば済むことだ。難しいけどね。

ブラック企業と言われているところの多くは、労働条件が劣悪だったりして、働くことへの喜びや楽しさを見いだせないケースが多いようだ(法律違反は論外としても)。そういう企業に限って「組織に属する幸せ」とか「自社の使命」だとか「奉仕の精神」という心地よいフレーズを振りかざして「そこで働くことは幸せだと実感しろ」と押し付ける。まあ、そういう企業で働かなければいいのだが、徐々に「染まって」しまっては、取り返しがつかなくなる。働くことの意味は自分で見いだす、そんな風に気をつけて欲しい。