簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

リクルートスーツの是非。



リクルートスーツの是非について少し考えていた(もちろん仕事で)。長い間、就活関連サイトを手がけてきた中で、自分自身が「リクルートスーツは黒でなくてはならない」と一度も書いたことがない(紺やグレーなど、華美でない社会人らしい格好と書いていた記憶がある)。が、今やリクルートスーツは黒一色で制服のようであり、スーツではないなにかとして存在している。事実、就活が終わったらリクルートスーツは「着ない」という選択を取る学生は多い。なぜならそれは「ダサい」から。

ツイッターのリンク先にあるまとめはとても興味深かった。ある時期までは「幅広い選択肢」と「個性」を象徴するアイテムとして、同時に「だからといって外さない」ためのノウハウを求められるものとして、就職活動時のスーツが存在していた。しかし、1997年頃(男女雇用機会均等法改正)を境にして、特に女性のそれの百花繚乱ぶりは姿を消していき、おとなしい、平凡なスーツへと収斂されていく。最後は結局「黒一択」という、身も蓋もない提案がされてしまって、いまのリクルートスーツになると。

まとめた @surface_water さんは、朝日新聞データベースからこういう記述をしている。『72〜73年を境に、就職活動の服装が学ランからスーツに移行しはじめ、78年には学ランを着用するのは体育会系学生のみに。77年秋から、大学生協が新宿伊勢丹のフロアを使って背広の共同購入を開始。八割以上が紺色を購入。』これを見るとリクルートスーツは数十年を経て「制服」に先祖帰りしたと言えるのかもしれない。ただし、だからといって就職活動時点でスーツを着ることに、私は反対しない。

就職するということが「一生のこと」ではなくなりつつあるのだろう。だから「カジュアルに」そして「気楽な感じで」企業と学生双方が接点を持ちたがる。しかし、職に就くという行為そのものは、やはりとても「一大事」なのではないのかしら。だからこそ、それに挑む学生が、ちゃんとした服装をするということは、理にかなっている気がする。確かに暑いのでスーツは辛いが、ちゃんとした服装(=これにしても曖昧な言葉だけど)を求められる人たちは、やはりスーツを着ていることが多い。

まあ、クールビズが叫ばれている時代だし、個人的にスーツは暑苦しさの象徴だとも思っているので、リクルートスーツは廃たれて欲しいとは思っている。しかし、それはあくまで「就活用のスーツとしてのリクルートスーツ」であって「身なりを整えて、ここ一番のときに臨むスーツ」は、あっていいんじゃないかなと。ただ、そもそも就活のプロセスが変わって、企業が学生を「何度も繰り返し呼ぶ」ようになったという弊害(なのでリクルートスーツを着る機会が増えた)もあるのだが。それはまた別の機会に。