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簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

仕事を探し流浪する就活。



連載が更新された。居酒屋で隣り合わせた学生(とその友達のフリーター)の何気ない会話から、仕事に就くということに関する意外に見逃せない問題が「ぽっかり」と浮かび上がってきたのには、チューハイを飲みながらある種の衝撃だった。出会いってこんな感じとか運命だよねこれって恋愛的な話なら、陳腐だと思いながらそういう台詞を吐いているかもしれない。仕事に就くという行為そのものが、とても『ややこしい』ことになってしまった状態の答えを出せていない、ひずみのようなもの垣間見たのだ。

書いた記事の中に出てくるニート君(実際はフリーターのようだ)は、仕事に対してやりがいであったり、自分にしかできないことであったりという、お金ではないなにかを明確に求めている。甘いことをいっているんじゃない、生活に困っていたら働くだろうとか、仕事ってそういうものだよ、と嘯くことに何の意味を持たない。人の役に立ちたい、自分ならではと認められる仕事がしたいということについて、そういう気持ちを持つことは間違いではない、ある時期までのキャリア教育においては正しいのだから。

ただ「それには下積みが必要」だとか「自分らしく働くには準備がいる」といった『ビジネスパーソンなら当たり前のように実感している』前提のようなことは、キャリア教育の中では教えられることはない。仕事に就くということは当たり前のことであり、それを選ぶためには自分の個性であったり、ある種の社会性であったりを考慮して選べという話だけをしてしまっていると、一足飛びにそこにたどり着けないこと、もしくは、そもそもそうなれない可能性があることに目が向かないし、よくわからなくなる。

記事の中での友人たちは、そのあたりの『折り合い』を上手くつけ、内々定を得ていた。なので、一概にキャリア教育に原因があるとは思っていない。が、真に受けて苦労する若者がいることも見逃せないだろう。そろそろ『やりたいこと』と『やりたい仕事』は違っても良いと、もっと声を大にして言ってもいい時期にきていると思う。企業が働く人に高いモチベーションを求めるのは当然だろう。しかし、そもそも、そのモチベーションの源泉を企業が提供できているかどうかは定かではない、ではないか。