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簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

ソーシャルネットワーク。



面白い記事だった。私もズボンが破けて遅刻したことがある。今も十分太っているが、以前はもっと太っていて、ズボンはパンパンだった(汗)。通勤途中に歩いていると、小さい子が突然、道路に飛び出しそうになったので、慌てて止めた途端に尻の部分が裂けたのだ。太っているとこういうときに困る。なぜなら「その辺の店で替えのズボンを買おう」という普通の人なら簡単なことができないのだ。その筋の店(笑)に行かないと、自分が「入る」サイズのズボンが買えない。結局タクシーで通勤したので遅刻。

この記事を読むと、大変な世の中になったものだと思う。こういうサボりはきっと以前からあった。が、それが見えなかったのでことなきを得ていたのだと思う。噓も方便知らぬが仏なることわざが、それなりに機能していたということだ。しかし、ソーシャルネットワークサービスの登場により、あらゆることが可視化されてしまって、サボりもままならないという時代になってしまった。まあ、サボっているならソーシャルツールに書き込まなければ良い、と思うのだが、人の心はそう簡単ではないようで。

例えば、ツイッターやフェイスブックの投稿の中に罵詈雑言を書いてしまう人は少なくないだろう(私も書くことがある)。立場ある人間だったら、そのことがどれほど「自分にとってマイナスなのか」理解できるはずだ。が、書いてしまう。ソーシャルネットワークサービスに罵詈雑言を書くということは、当然、多くの人の目に触れるという前提でいるはずだが、当人には自覚がないのかもしないし、軽く考えているのかもしれないとも思える。いずれにしても、危険な行為であることには変わりない。

仕事をさぼって遊んでいることをソーシャルネットワークツールに書き込んでしまうという行為を上手く説明することはできない。そう考えると、そもそもツイッターやフェイスブックなどに溢れている「どこに行きました!」「こんなものを買いました!」「なにを食べました!」「誰と会っていました!」という投稿に、合理的な説明を付けるのも難しい。しなければならないというわけではない。が、してしまうと。説明がつかないからこそ、中毒性も高いのかもしれない。見える社会は大変だよね。