簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

ニートになにができるか。



この記事に支援者として登場する本人と、水曜日に「居酒屋トーク」と題して神田のガード下で羊の串焼きを食べながら話していた(居酒屋トークは定期的に開催する予定なので興味がある方はメッセージください)。たくさんのメディアに注目されていることや、参加者の意欲も高く、とても手応えを感じていると話してくれて、聞いていて楽しかった。こういう試みは思いついてもなかなかできるものではない。サクッと実行してしまえる行動力に、とても感心したついでに、いくつか混ぜっ返しておいた。

こういうある種異端に見える取り組みを始めると、多くの人たちが「レガシーな枠組みの中で」捉えようと躍起になる。自分たちが理解できるレイヤーまで話をわかりやすくしようとするのだ。例えば、ニートが集まって会社を作ったという取り組みならば、ニートからの脱却の第一歩だ、というフレームで処理をしたがるし、雇われない生き方という枠で話を消化したがるかもしれない。現存の社会システムの閉塞感の延長線上で、異端からそれが打ち破れるという絵図を書きたくなる人もいるだろう。

同時に、こういう取り組みは上手くいくわけがないと否定したがる人も少なくない。レガシーな枠組みの中で頑張って、それこそ歯を食いしばってきたと自負する人ならば、それを否定されている気分になるに違いないから。だからこそ、こういう事象を取り上げたいメディアは、ある種の対立構造を勝手に作って、話を展開したがる。しかし、それはとてもつまらないことだろう。そもそもニートが集まって会社を作ったのに、脱ニートしてどうするんだと。レガシーな人たちの文法に則って、期待通りの行動をしてどうすると。

どうせなら「ニートであり続けるための」システムを確立して欲しい。ニートでいるためになにができるのか、徹底的に悩み抜いて、とにかくニートにしかできないことを、嫌らしいくらいに考えつづけ欲しいな。と、日本語の通じにくい料理屋さんで(グレープフルーツサワーがわかってもらえなかった・汗)私は力説しつづけた。その先がニートじゃなくなってしまったら、それはそれで仕方ない。精一杯ニートであり続けようとした結果なのだから。ニートの本気に私は期待している。想像もつかないことをするのだろうと。