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簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

好みで採用と言えばいい。



先日更新された連載コラムで採用における面接の回数が激増しているとチラッと書いた。ただ、以前から複数回面接をする企業はあった。が、今のそれとは目的が違ってきてしまっている。かつては「繰り返し会う」ことによって「相手との関係性」を強固なものにして「自社に呼び込む」手法だったのだ。入れ替わり立ち替わり様々なタイプの面接官が登場し、自社の良いところ悪いところを開けっぴろげに話して、そのかわり相手との信頼関係を勝ち取っていく。まあ、早い話が「口説いていた」というわけ。

いまの複数回面接は、それと様相がまるで違う。面接官の質もバラバラ、意図も見えないし、そもそも面接するという行為が、従業員にとっては苦痛でならないというケースも多いのだ。自分の業務の時間を削ってまで「言われたから面接する」という態度で臨む。複数回面接に呼ぶという行為は、企業に取っては「応募者のロイヤリティ」を計る格好のプロセスだと見ている節もある。来なければ不採用、日程調整を依頼されたらお祈りメールを送る。新卒採用の現場だとそういう光景はもはや日常茶飯事。

複数の従業員に会わせるというプロセスは「職場との相性を計っている」といいたい採用担当者も少なくないだろう。一緒に働く人間が働きたくないというなら、その応募者にはバツを出すべきだ、的な。ただ、それは結局「私たちの会社は、いま働いている従業員の好みで採用をしています」と声高に言っているのとイコールであることを忘れてはならない。それが悪いと言っているのではない。だったら「そういえばいい」というのが、私の基本的な考えだ。どんな採用をしようが、企業の勝手である。好きにすればいい。

ただ、複数回面接は「見極める」と称した「もっともらしい儀式」に仕立て上げられているので、付き合わされる就活生や求職者は大変だなとも思う。第一、現場の人間が「素晴らしい、採用して欲しい!」と願っても、その上役がひっくり返すケースも少なくない。それはまったく正しくて、地位が上であるということは、責任も重く、だからこそ権限があるという、当たり前の構図がそこにあるからだ。そういう意味では、途中に登場する雑魚キャラのような面接官もまた、災難にあっているようなものだ、ともいえる。