簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

凄みは虚飾ではないのだ。



Facebookをみていたら、ある飲食店のことが紹介されていた。予約が取れない寿司屋で店主のことを鮨の錬金術師と紹介していた。錬金術が「うまく立ち回って、お金を手に入れる方法」の比喩だということ知らないでライターは原稿を書いたのかもしれない。精一杯の賛辞のつもりだったのだろうとは思うが、読んでいて残念に思った。本当の凄みとはそういう虚飾はまったく必要ない。そのままが書かれていても、それを読むだけで感心してしまって、憧れるしかなくなるのである。

ツイートした(そしてこのツイートは比較的リツイートされている)記事には、富士フィルムの光学・電子映像事業部電子映像グループマネージャーの上野隆さんが、自分自身が携わった新製品「X-M1」について話をしている、一見するとなんの変哲もないインタビューである。しかし、その製品の特徴、こだわった部分にインタビューはフォーカスされていき、その製品に携わった人たちがどれだけ凄いのかということを、それこそサラリと述べている。自社の色作りが職人芸であると。

読み進めるうちに、どうやら凄いことが行われているらしいということに気づき、さらにそれだけ凄い人たちが精魂込めて作ったカメラなのだから、それこそとんでもない製品に違いないと期待を抱かせる。カメラを購入しようと考えている人たちなら、製品は間違いなく検討対象になるだろうし、カメラをいま必要じゃない人でもきっとファンになる。いずれ買おうと思ったときには、必ず選択肢の一つとしていれるはずだ。本物の凄みとは、たぶんこういうことなのだろうと思う。逆に凄さがあれば、ほかは要らないのだ。

製造の現場にはこういう話が山のようにある。しかし、それを丹念に拾い上げて、わかりやすく伝えることのメリットを感じない人が多いのだろう。妙なマーケティング戦略とともに、不思議なタレントが使われ、凄みが全く伝わらない宣伝が垂れ流され、と、そんな不幸を目にすることになる。ファン作りとは、ポイントを貯めさせることでも、プレゼントをぶら下げてリツイートさせることでもないはず。良い製品はすべてを語るし、良い製品と気づかせるために語るべき言葉を持つ人は、たくさんいる。もったいない話だ。