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簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

やりがいという言葉の嘘。

そろそろ自著を改訂したいと思っている。といっても、別に出版社と話をしているわけではなくて、ただ思っているだけだ。担当編集者と連絡を密に取って次回作を打ち合わせるという扱いを受ける著者では当然ないので、自分で勝手に妄想しているだけ。次はこんなことを書かなくては、逆に世の中のこんな流れはキチンと否定しておかなければ、と言う感じで。別にキャリアとか働くということが書きたいわけではないけれど、たまたま知見として十分な量が溜まってきたので、一気に吐き出してしまいたい。

こんなことは誰でも知っている!会社のオキテ

こんなことは誰でも知っている!会社のオキテ

 

もっとも強調しておきたいのは「やりがいという言葉にだまされてはいけない」ということだろうか。当然、やりがいはあっていい。むしろナチュラルにやりがいを持つことが出来る人は持っておくに越したことはない。しかし、全員が「仕事に」やりがいを持つことが出来るわけではない。もっと別のことにやりがいを持っても当然かまわないはずだ。しかし、世の中の多くはそれを許してくれない。例えば「指示待ち社員はダメだ」というフレーズとともに、自律的に働くことを「やりがい」とすり替えようとする。

早く帰って趣味に没頭したいから自律的に働く、という話でも本来は良いはずだ。けれども、それはなかなか許されない。世の中の一般的な考えとしてのやりがいとは、属する組織の考える方向性に「合わせていないと」ならないのだ。それはもはや自律性と呼んでいいのか疑問があるのだが、多くのケースでは「組織に属するということはそういうことだから」と取り合ってもらえない。前回の会社のオキテでは、会社に入るということは、同じ利益を追求する集団に属するということだと書いたが、まさにその話である。

だったら、新卒採用などで「個人のやりがい」について採用担当者たちは語らせるべきではないだろう。自社はこういうことを考えている。こういう人を求めている。自分たちと同じベクトルを向いている人が欲しいと正直に言えばいい。個人の夢ややりがいという得体の知れないフレーズを使って「絡めとる」という、ある種の気持ち悪さを十分に自覚する必要がある。といっても、採用担当者は「新卒酔い」しがちだからなぁ。学生と話していて「気持ちよくなっている」彼らを見かけると、世の中は変わりそうにないと思う。