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簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

ぶら下がり社員の絶望感。



連載が更新されたので、サブノート的なエントリーを。この話を赤坂のビストロで編集長の吉岡綾乃さんに質問されたとき、新・ぶら下がり社員が出現する背景について、二つの視点で回答をした。まずは「違う自分を持っている人なら、ぶら下がることは容易いかもしれない」と。要は、今の自分は本当の自分じゃない(まだ本気を出していないというのと似ている気がするが、ちょっと違う)会社の自分、ソーシャルネットワーク上の自分、友達と一緒の自分、そして、本当だと自分で思い込んでいる自分。それぞれ違うと。

そうなると、本当の自分だと思い込んでいた自分に与えられていた仕事がダメになってしまったり、思い通りにいかなくなったとき(就活用語的には挫折した経験というヤツがピッタリと来るかもしれない)に、自分を保護する回路として「違う自分」が発動してしまう。結果として、本当の自分の挫折ではないので、まあ気は楽だし、いずれ本当の自分が頑張らないといけないタイミング*1がくれば、また頑張るけれども、それまでは辞めないけど頑張らないとなる可能性もある、そんな気がすると。

もう一つは「ほめられた経験が薄い人は、新・ぶら下がり社員になるかもしれない」と。あまりにも周囲がほめてくれないので、自分の評価はなんでも自分で下さなければならないというタイプだ。自分が認めなければ、先に進めない。結果として、他者からの評価を受けたとしても「自分がダメならダメ」となってしまうのだ。与えられた環境の中で、周りが評価してくれても、それは「自分としてはどうなのか」という尺度でしか見ることが出来ないので、結果として「ダメだ、だったらいいや、別にこれで」と閉じてしまう。

「こうでなければならない」と、自分で決めてしまっている人の多くは、誰も認めてくれなかった、いや、むしろ否定され続けてきたからこそ、自分自身で決めて、承認する、そうしなければ先に進めなかった経験を持つ人が少なくないと思う。結果としてそれが当事者意識を持っているように「見えてしまう」のは、かなりの不幸なのだが、なかなか見分けがつくことはない。働くことがすべてではない。コラムにも私はそう書いた。一方で、人生の多くの時間を費やす仕事について、もっと楽しい方が良いとこはいうまでもない。

*1:この言葉が好きな人は多い