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簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

自分で考えろという言葉。



連載が更新されたので、サブノート的なエントリーを。自分で考えて、自分の頭を使わなきゃ成長しないという言葉を、多くのビジネスパーソンは安易に使ってしまいがちだが、案外違うのかもしれないと思い始めている。来週もこの続きを書くので、ここでは詳細を書けないけれども、望む答えを出させるというプロセスにおいて、自分で考えるだけでは成長しないと思うのだ。失敗が糧になったという成功談の多くは、その範囲は限定されているが、自分の責任において『やり切って失敗』のケースが多い。

誰かの考えたレールの上を、自分で考えながら走るという経験はとても大切だが、それはあくまでトレーニングのひとつに過ぎない。育成であると割り切らずに仕事を進めてしまって、育てるための我慢というカードを切っては見せる。が、実際はただ自分の手元の問題を先送りしているにすぎない、というこういう問題の典型例は多くの不幸を産む。当事者たちもなにが問題かわからないまま、もがき苦しみ、その結果がみんな疲弊するだけでは、どうしようもない。しかし、勘違いはなかなかなくならない。

以前『言葉はいつも想いに足りない』というタイトルでブログを書いていた。ビジネス社会に限らず、多くの齟齬は、言葉が足りないから起きる。説明しても、言葉を尽くしても、なお、想いはすれ違う。目の前で同じものを見ていても、言葉にすると、まったく違うものが口をついてくることを考えると、残念ながら、その溝のようなものは、永遠に埋まらないのかもしれない。ただ、それでも言い続けるしかないし、問い続けるしかない。もう言わない、聞かないという選択肢は、すべてが終る時だろう。

育成だと割り切るならば、結果は捨てなければならない。逆に、結果を求めるならば、どこかで育てるという行為を、割り切らなければならない。ここで多くのオールドビジネスパーソンが間違えるのは「自分の時代は、そこは別れていなかったけど」と「自分ができたのだから、他人もできるはず」セオリーを持ち出してしまうことだ。あなたの若手時代といまと。ビジネス社会のスピードと求められるクオリティは、まるで違うはず。その認識ができていない人が、仕事ができない若手を作ってしまうのだ。