簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

多様化の先にあるものは。



連載が更新されたので、サブノート的なエントリーを。環境が変われば常識も変わるし価値観も変わるし基準も変わる。ブレないことを売りにしている人は少なくないが、その結果が吉と出る人は多くない。人と合わせることを必要としない人の多くは、極めてわかりやすい能力や個性があるか、人となにかをすることがない人だ。もちろん、厚顔無恥な人である場合も多いが、それはそれとして。自分が持ち合わせている常識や基準や価値観や、それこそフツーは、もっと疑ってもいい時代になりつつある。

もちろん、ひとつの価値観の元に人を集めて、組織的にというお題目とともに、機械のように働かせるというスタイルだって、間違いとはいえない。好んでそんな働き方を望む人などいるものか、という声が聞こえてきそうだが、なにも考えずに無心に、それこそ言われたことだけを忠実にこなしたい、という働き方を好む人にとっては、ただ、従うことがフツーであり、それが常識だ。企業は多様な人材を求めていると声高に叫んでいる。としたら、多様な価値観を受け入れるしかない。

そうなると、価値観を押し付ける人、そう、コラムに書いたように、自分の経験が絶対であり、尺度が真実であり、価値観が揺らぐことはあり得ないという人でも、受け入れる必要がある。多様な価値観などない、という価値観もまた、多様性の一部なのだ。そのあたりの覚悟がないまま、多様性という言葉を掲げ、人を集め、上手く活用できずにリリースしてしまっている企業は、枚挙に暇がない。多くの人は、他者を認めることはとても難しく、自分を否定されることも許し難いのだから。問題は易しくない。

たくさんの価値観が存在する場所では、声の大きな人のそれが優先されるケースは少なくない。ネット上でも似たような現象は、毎日起きている。繰り返し大きな声で自己主張を繰り返し、自分の考えと異なった人たちが疲弊するまで、がなり立てる人たちの声が、一般的な価値観として形成されていく。世間が言うところのフツーの正体など、こういうプロセスを経て作られていることも多い。自分を疑うのは骨が折れる作業だ。ただ、立場のある人間は、まず率先してそうするべきである。他者への影響を考えて。