読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

簡素な生活。

サカタカツミのブログ。連載のサブノートが中心。すべての働く人たちに。役に立つ話も立たない話もあり。

刺激の先にだけある怖さ。

刺激的な話をすることは、難しくない。多くの人がドップリ浸かってしまっている日常生活にない、ちょっとしたスパイスを用意して、鼻先で嗅がせるだけ。少しの演出は必要だし、刺激的な話をする人間であるというセルフブランディングも大切だが、その苦労を上回るリターンが仕掛ける人間にはある。自分にとって日常的ではない生活を垣間見て、その世界のメンバーになろうとしている人から、金をむしりとることができるのだから。そんな風に、あっという間に身包みを剥がれて捨てられた人の話は、面白い。 

我が逃走

我が逃走

 

勘違いしてはならないのは、他人の不幸は蜜の味、という本ではない。多くの人が舞い上がり、勘違いをし、足元をすくわれるプロセスとパターンは、意外に多くないということが、この本には、ぎっしりと詰まっている。それを楽しむ一冊なのだ。付け込まれるということはどういうことなのか、祭り上げられてしまった人間の心情はいかばかりなのか、刺激的であると勘違いさせるための舞台装置はどういうもののなか。とても上手で読みやすく、かつ、エンターテインメント性豊かな文章が、それを明らかにする。

ただ、この本を読んだからといって、たまたまお金を持ってしまった人を、サックリと騙せるようになるのか、いや言葉が悪い、身包みを剥げるようになるのかというと、それは無理だ。逆に、この一冊を読むことで、いかに自分たちの生活が、いろいろな人たちからむしり取られているか、ということに気がつかされる。面白い施設がオープンしたといえば、その刺激を味わいにいく人たちがいる。その経験は情報化され、すぐにシェアされて、別の人がその刺激を味わいにいく。新しい製品だって、ほぼ同じことだ。

はらたくこと、という部分にフォーカスしてもそう。誰かが考えた「べきである」という、一個人の単なる価値観が、さも「でなければならない」と流布していく。注意をしていないと、そこから逃れることはできない。なぜなら、べき論の先には成功(したように見える)人が待っていて、手招きをしているのだ。こちらに来れば素敵なことが待っているよと、ぬるま湯に浸かっていると危険だよと。ただ、呼んでいる人ばかりを見ていると、足元の落とし穴には気がつかない。でも、怖さって甘いんだよね。蜜の味。